夫婦が子供を産んで後、何らかの原因で女が男からDVを受け続け、自分の腹を痛めて産んだ未熟な子供のことだけを思いつめながら、精神に異常をきたしやがて死んでいく、そんな悲哀に満ちた母性像が私の大学時代の後半に突如として深層心理に浮かんできました。
大学時代になぜか私の心を惹きつけて離さなかった一人の乙女がいました。きっとそういった家庭環境で育っただろうと確信していましたが、案の定、後の彼女の手紙から、その予感がまさに的中。
彼女に一種の精神的なコンプレックスを感じていたので、私は彼女に一言も話しかけることができませんでした。せいぜい、私からの一方的な数回にわたる手紙の中だけのことでした。前半では、キリスト教の伝道の立場から、後半は、彼女とその母親との母娘関係を美化し、絶対視していくような格好で手紙を送り続けました。
やがて、彼女に対し恋心のようなものが芽生えてきましたが、恋文を送ることができたのは、彼女に対し精神的優越感を持ち得た後のことでした。その間、片思いの失恋を2度経験しました。一度目は、自力で回復することができましたが、二度目は、子供を生んだ後に離婚され苦しんでいる女性との奇跡的な出会いを通じてようやく立ち直ることができました。
その3ヶ月後に、私は幸運にも、新約聖書に書かれている「処女懐胎による救世主誕生」に通じる理論を構築することができたのです。(拙著『イエス=キリストの処女降誕説を実証する』の第二章参照)。
その信念の下、彼女が現在的マリアであることを、彼女と彼女の交際中の男性の前で告白しましたが、彼らはその後、結婚しました。
それから20数年後、私はキリスト教から分離・独立し、「処女降誕教」なるものを創設し、63歳(1954年生まれ)となった今も私は、私の処女降誕教の正当性を実証するために、現在的マリアともいうべき一人の女性を探し求めています。
そうなると、この宗教的信条ゆえに、一生涯、独身を貫く結果となるかもしれません。そこで私は、このあまりに寂しい老後をいかにすればより充実した老後に変えることができるかを研究し続けてきました。その結果、終末期福祉施設または最後のセーフティーネットとしての拙著『誰でもすぐ入居できる国営老人村構想』を上梓することになったのです。
この国営老人村への入居条件の一つに、公費のかかり過ぎる公的介護と終末期延命治療が受けられないこと、があります。また、死に方としては、ある条件下で自由死(断食自然死や自己安楽死など)の権利を主張し、国によるその権利の保障がどうあるべきかについて、国民的議論の必要性を訴えています。
在宅での断食自然死は、現在、保護責任者遺棄致死罪の法律によって罰せられますが、断食自然死や自己安楽死などという死に方を将来の「うらやましい死に方」の一つとして確立されることを願ってやみません。
最後に、「処女降誕教の祈り方」をご覧いただければたいへんうれしく存じます。