マリア懐胎でイエス誕生

史実それとも物語
謎を論理的に解明、実証する

「マリアの処女懐胎によってイエスが誕生した」とする処女降誕説は、歴史的事実に裏打ちされたものであるのか、それとも単なるフィクションなのか?あなたは、この奇跡とも言うべきものにご興味がありますか?
イエス=キリストの復活信仰と教会共同体(の利益)に重きを置くのがキリスト教であるとするなら、処女降誕信仰(処女降誕説の謎を論理的に解明し、実証しようとする立場)をその核心とするのが処女降誕教です。
キリスト論を考えていく場合、パウロ・ヨハネ的な「キリスト先在」論と、マタイ・ルカ的な「処女降誕」論がありますが、パウロ・ヨハネ的な「キリスト先在」の考え方は、組織神学から生み出されたもので、特に教会の指導者が好む考え方であると思います。
一方、「処女降誕」の考え方は、歴史的には、初代キリスト教教会が誕生する以前のものであり、それを組織神学やロゴス・キリスト論の立場からあれこれと説明を試みても、第三者(特に日本人)にはなかなか理解してもらえないように感じます。
つまり、「処女降誕」という考え方は、キリスト教、地域性、時代性の枠を超越したものであるように思います。
科学が進歩した今日、なぜナザレのイエスだけをキリスト(人類の救い主)であるとしなければならないのか、という疑問を多くの日本人が抱いています。そうした状況の中で、イエスがキリストであると信じる者同士、イエスがキリストであるということを特に日本人にどのように訴えていくのが最も効果的なのか、お互いに考えていかねばならないと思います。
次の一手は、現在的マリアとなってくれる女性を選定することであります。
カトリック教会の教義の一つである「無原罪懐胎説」と、カトリック司教協議会認可の『受肉の秘義』(カトリック中央協議会発行)の小冊子の考え方に賛同する神父、修道女、信者らの中には、私の処女降誕教を異端視して、全面的に拒絶する方々がいます。
私はそのことに対し、第三者の方々も交えて、一般公開の宗教対話の推進を強く熱望するものであります。
沈みがちな日本でありますが、お互いに日本人として、新しい突破口を開くためにも、日本から世界に向かってインパクトのあるものを発信していかねばならないと思います。

平成23年4月28日 中外日報より