ナザレのイエスはキリストか

処女降誕説は「正しい」

核保有国に対する核による防衛・抑止の一環であるのになぜ我々だけが非難されなければならないのか、と主張する北朝鮮政治指導部やイラン保守グループの存在。非核保有国の多くが核廃絶を願いはするものの、どうしても国家的利害が見え隠れする現実。このような中で日本は一体何をすればよいのだろうか?
多くのユダヤ教徒は、ナザレのイエスをユダヤ教ナザレ派の優れた一人の宗教的指導者とし、また、多くのイスラム教徒は、ナザレのイエスをマホメットに次ぐ優れた預言者(神のことばを述べ伝える者)であるとする。一方、ロシア、北朝鮮、中国に存在する積極的無神論者の多くは、ナザレのイエスについてはほとんど問題視していないように思われる。
そういった中にあって、唯一、キリスト教信者のみが、ナザレのイエスを「神のひとり子である」として神格化しているが、果たして、ナザレのイエスはキリスト(人類の救い主)たり得るのだろうか?
カトリック教会の司祭を目指していたある学究心旺盛な青年が、ナザレのイエスは最終的にキリストたり得なかったと結論づけ、好きな女性との結婚を選択して、カトリック教会を去った。彼は私にとって大変印象に残っている青年の一人である。

○ナザレのイエスに関する物語には、以下の7つの謎が認められる。
①本当に聖霊によって処女マリアから生まれたのか?(処女降誕説は歴史的事実か、それともフィクションか?)
②33歳ごろまでの約3年間のみ宗教活動をしたようであるが、30歳までどこで何をしていたのか?
③本当に、一生独身であったのか?
④本当に、十字架に架けられたのか?
⑤本当に、死して3日後に肉体をもって復活し、その後、40日間弟子たちの前に姿を現したのか?
⑥その後昇天し、世の終わり(終末)に再び人類の救い主としてこの世に来るのか?(再臨)
⑦イエスを導いた神とはどういう存在なのか?

処女降誕から始まり、復活を経て、世の終わり(終末)に再びこの世に現れ(再臨)、神の支配する世界を作るというが、万が一、そういう目的の再臨があるとすれば、どういう方法で再臨するものと考えられるか。また、その再臨方法はイエスがキリストであることの客観的証明となり得るのか、といったことなどについて、日本の多くの皆さんと一緒に語り合っていきたいというのが本論の目的である。
「ナザレのイエスがキリストである客観的証明は、聖霊による処女降誕説の実証とメシア誕生を告げる星の出現(東方の三博士による礼拝)である」というのが私の宗教的信条である。
いろいろな再臨観ー例えば、キリスト教福音派らの空中再臨説(携挙)、世界基督教統一神霊協会(文鮮明氏)やオウム真理教(麻原彰晃氏)らの地上再臨説、ものみの塔の霊的再臨説などーがある中で、私が考える再臨観は、「やはり、イエス=キリストの処女降誕説は正しかった!?」「おそらく、再臨のキリストも初臨の時と同じように聖霊によって処女から生まれるだろう!?」である。
私の処女降誕教のライバルは、カトリック教会が教義の中で主張する「マリアの無原罪懐胎説」と、ナザレのイエスの妻がマグダラのマリアであると主張するダ・ヴィンチ・コードの立場である。
ナザレのイエスに神性があったのか、それとも無かったのか?といった二者択一の問題はあるにしても、現実問題として、万が一、この日本にナザレのイエスがキリストとして再臨したとすれば、その時日本は世界に対し何をどうすればよいのか?核兵器などの無差別大量殺戮兵器の使用の決断や、無差別テロの実行をためらわせることが私の切なる願いである。

平成22年10月23日 中外日報より

復活を経て終末に再臨
星の出現、客観的証明に

IMG_0012キリスト誕生のイコン(写真は吉田光邦著『星の宗教』淡交社より利用させていただきました。)